「本ツール」についての整理
1.ひとの作った表を融合できる
本ツールの表は無限の表だから、別の人間や組織が集めて表にした情報 (彼らの創造力) を、自身の表に容易に取り込める。とりこんだ情報は、自身の視点で再構造化して、すでに持っている自身の情報と融合できる。
本ツールは更に、本ツールで構造化してある情報だけでなく、ほとんどの別のツールで小さく構造化した情報を、本ツールニ合体する機能を備えている。これまでの情報を生かして、本ツールを活用できる。
2.従来のツールとは違う
これまで多くの発想法や発想支援ツールが提案されて来た。これらの方法の多くは、植田らの指摘のなかの(A)視点の転換 や(B)類推 を技法化しマニュアル化したものではなかろうか。
確かに、発想の転換の方法を、これらの手法(マニュアル)から学ぶのも有効であろう。しかし、こうした手法は実際に活用するチャンスを繰返し持たなければ(持てなければ)、身には付かない。さらに、本当の独創性は、マニュアル化された手法の外で発揮されるものではないか、との危惧もある。
本当に身につくのは自身に合った、得意な方法だ。そしてそれは、特別な教育や訓練を受けなくても、先人の物の見かたに習いつつ、自然に、自身の方法として身に付くものである。真の発想支援とは、自身がとっている発想の方法を確認し、それをブラッシュアップしてより高いレベルに持っていくこと、更にそれを効率的に行うのを支援すること、つまり、情報の「構造化・再構造化」を自身の観点で効率的に行えるよう支援することと言ってよいだろう。こう考えれば、本ツールと従来の発想法や他ツールとの違いは明らかだ。
3.いつまでもクリエイティブでいられる
創造活動とは情報の「構造化・再構造化」の繰返しだ。このプロセスは日常的に、たえず繰返される。この過程で思考は何度も中断される。中断の後、思考を再開するときに、それまでの結果がスムースに頭に蘇らないと、それ以上思考を進化させることはできない。だから記憶力が低下すると、認めたくはないが、創造力も当然低下する。
創造活動とは構造化された情報を記憶すること、そしてその構造化された情報を記憶から呼戻し、さらにそれを再構造化することの繰返しである。
これまでのツールのほとんどは、ある時点での狭い範囲の情報を構造化し、それを記憶することことまでは何とかできた。 しかし、広い範囲の情報を構造化し、それを記憶から呼戻し、さらに進化させる(再構造化)のは不得意だ。
本ツールはそれをだれにも容易に行えるようにした。記憶力の低下による創造力の低下を補えるから、ひとはいつまでもクリエイティブでありつづける。
4.次の世代に活躍してもらう
自身や組織に独自の構造は、すぐに完全なものができるわけではない。そしてそれは、時が移り目的や価値観が変化するに従って、変化していくべきものである。先輩は創造力を後輩に伝え、後輩はそれを進化させて自身の創造力とすべきものである。 日本の成長を支えてきた第1の団塊の世代がいま、ピラミッド組織の外側にあふれつつある。一方、第2の団塊の世代がいままさに、ひとがもっとも創造的でありうる年代に至りつつある。先輩から後輩への創造力の継承が行われるかどうかは、組織の記憶力の良し悪しを意味する。記憶力の悪い組織は創造力・独創力の低い組織であり、いずれ淘汰される運命にある。
(1)ベテランの優秀な研究者・技術者に、専門分野での情報調査をおこなってもらい、このツールの発想で、情報を「構造化・再構造化」することにより彼らの頭の中味をはきだしてもらうことだ。そうすれば彼らの創造力は形として残る。このとき同時に、ツールで記憶力が補われ、多くの新しいアイデアが同時に生れてくる筈である。それらをまとめて報告書にしてもらう。
(2)こうして出来あがった報告書と本ツールのデータベースを、若手研究者・技術者に提供してもらうことで、優秀なベテランの持つ創造力が後輩に継承される。
(3)若手研究者は、提供された情報とその構造に、自身のもつ情報と構造を融合し、自身の観点から再構造化してブラッシュアップする。よりすぐれた創造力を自身のものとできる。
但し研究者・技術者にとって、情報は命だ。だから、自身の持つ情報とその構造を、自身で独占したいと言う欲求があることを否定はできない。従って、いま競争の真只中にある若手研究者・技術者に、自身の持つ情報と構造を、皆で共有するために供出せよと言っても、これにはあるいは無理があるかも。だが、中高年者には、自身の経験や知識や考えを残したい、という自然な願望があると思う。だから、上記の戦略には無理がない。
5.結び
創造力をツールで共有する場合の障害の一つに、我々技術屋のもつ特性がある。研究者・技術者には、独創的でありたい、個性的でありたい、人とは違っていたいという願望がある。これは往々にして、自身がもつツールについても及ぶ。つまり、我々には人と同じ手法やツールを使いたがらない傾向が潜在的にある。
我々がこころすべきは、もう古典とも言える名著「知的生産の技術」(梅掉忠夫著、岩波新書)で指摘されているように、創造活動のかなりの部分は、独創性や個性は必要ない、むしろ技術がものを言う活動だということだ。
創造活動で問題なのは、結果が独創的か個性的かであり、活動に使う技法や道具の独創性や個性は関係無い。共通の技法や道具を使っても、独創性が損われることはない。使いやすいすぐれたツールを皆で使うことによって、情報とその構造の共有、つまりは創造力の共有は何倍にも増幅されることを忘れてはならない。
パソコンが一部の人間の道具であったときからこれまで、熱心な社内教育が繰広げられ、いままで電子メールやワープロ、表計算ソフトが使えなくては、仕事にならなくなった。情報の共有は一見進んだかのように見える。しかし、真の情報の共有とは、本稿で定義した創造力の共有であろう。
MEMOLOG-Aceは、創造力を共有し継承するためのツールである。そしてそれは皆で使って一層の効果を発揮する。だからその効果を生み出すには、これまでと同様に社内の教育訓練担当部署の理解と協力が是非とも必要となる。(久里谷美雄)