あとがき(1)

この資料は2024/08/09にアップした
歴史から学ぶ「文化」と「言語」の続きと位置付けしている。

私は“なぜ”という疑問を持っていても、自分で分析する能力はない。だから解決策も出てこない。この“なぜ”という疑問に向きあってくれたのが篠原先輩である。先輩は、いろんな切り口から分析した資料を作ってくれた。

これらの資料は、その都度IPMAのホームページへアップしてきた。先輩が永年(2002年~)研究されてきた貴重な書き物であるから逸散させずに残しておきたいというのが、その理由である。これらの資料を読み返しながら集約してみたのが、先の資料『歴史から学ぶ「文化」と「言語」』で、そして今回の『インテリジエンスの源泉は、情報、道具は英語』である。

先輩から、もう一つ教えて貰った事がある。“なぜ”を紐解くには、関連する本を読んで学ぶことが基本であると。先輩が書かれてきた資料の中で引用されている本と最近奨めてくれた本は何時でも読める場所に置いてある。素晴らしい御本に出会えたこと、本当に幸運である。

しかし、これらの本から得た知識を自分の頭の中でキチンと整理し、真意を伝える能力は自分には無い。これらの本を読んで“なるほど、そうか、わかった”と思ったポイント箇所を、そのまま「原文引用」させて頂くことにした。

2024年はパリ・五輪の年であった。競技の違いはあっても、まさに孫子曰く、“自分を知り相手を知る、情報を制する者が戦いを制する、勝つための準備を怠らない”である。様々な仕事、様々な活動に従事しても必要なのは、やはりインテリジエンス力である。

今や世界は「第4次産業革命期」を迎えている。その中で日本が抱えている課題は、この資料のテーマであるインテリジエンス力の衰えであろう。「成熟・衰退期」を迎えていたにも関わらず、イノベーションを生み出す立場にあったリーダー達が「黎明・成長期」における過去の成功体験に囚われてインテリジエンス力を鍛える努力を怠っていたからだと思う。いま、そのツケが衰退国日本を招いていることに繋がっている。

28年前(1996年)に中国の精華大学に訪問した時に図書館へ案内された時のことを思い出しながら、この「あとがき」を書いている。案内してくれた教授の話によれば、当校は日本の物つくり技術の習得だけでなく、欧米のコンピュータ技術に付随してくる通信技術関連の教育に力を入れている。従って学生達が使う教材は原書、即ち英語であるとのこと。図書館には英文で書かれた参考書しか置いていない。

“物つくり技術は、実習体験の積み重ねが大切ですね。コンピュータ関連技術は手に取って学ぶことは難しく教科書(専門書)で原理原則の基礎を学ぶしかないです。だから学生達は、このように必死になって図書館通いをしているのです。日本の大学では日本語に訳した教材があるそうですが、本当ですか”と尋ねられたことがある。 余談だが、台湾も中国と同じだと聞いている。 (2024/09/09/矢間伸次): (*)矢間は、篠原先輩の、自称一番弟子です。

あとがき(2)
モノづくりジャパン、あるいはその崩壊

「モノづくり」は私にとって大事なテーマである。モノづくりの基本は「育てる」心にあると思う。ここで言う「モノづくりは」の一つは、まさに「育てる」モノづくり、つまり農作物をつくる農業であり、森林を育て伐採する林業であり、魚を養殖する業である。

もう一つは、狭い意味での「モノづくり」であり、物をこしらえる業である。三番目は「建てる」というモノづくりであり、家や道路や橋や都市を「建てる」業がこれにあたる。この三つの「モノづくり」に「育てる」という心が収まってこそ、初めて本物の「モノづくり」となりうると考えている。

1.育てる心:「育てる心」でもって作られたモノは、その受け手にも「育てる心」が伝わる。つまり大事に使い、長持ちさせて寿命まで使うという姿勢になって現れる。

2.名こそ惜しけれの精神:"俺がつくるかぎり下手なものは世に出せない”という、つまり自分の名誉にかけてキチンとしたものを出すという心構えである。半世紀前までは、この精神は、ほぼ日本社会全体に、当り前に息づいていたのだが、今は随分と衰弱してしまっている。

3.キレイ感覚:ヤマト言葉の「キレイ」には、整理整頓、清潔、そして美しい、の三つの意味を含んでいる。“整理整頓されていない仕事場からいいものが出てくるはずがない”、という事実だけ見ても、この意味は理解されるであろう。

4.自然との共生(調和)姿勢:自然と調和しながら共に生きていくという姿勢が日本人の伝統的な特徴の一つであり、これからの地球においてはもっとも重要な要素となっている。

5.なぜ?を考える力:良い物を作り、それをさらに改良して出し続けるには、この「なぜ?」の力が必要であるが、半世紀に渡る日本の教育政策のおかげで、この力は日本人の中で見事なほどに低下してしまっている。

6.スキ心:簡単に言えば、モノをつくるのが好きな人が作ると、出来上がったモノが受け手に語りかける何かを表してくる、ということだ。日本人と総称される集団は世界でも珍しい”モノづくり大好き”民族である。他の民族から見ると、この異常な?情熱を注ぐ「好き者」であることをやめてしまえば、お金に”異常な”情熱を注ぐ人たちのパワーには押されぱっなしとなり、世界はまことに殺風景なものとなるだろう。

「モノづくり」の基盤は人であり、人間の尊厳と価値を無視した働く人を単なる「人件費」としか見做さない経営は必ず「モノ」に反映され、その「モノ」は市場で拒絶されていく。コスト削減の掛け声だけの効率経営から「良いもの」なんかが出てくるわけがない。出てくるのは杜撰な経営体質から生まれる企業スキャンダルだけかも?

世界の中で誇れる日本の「モノものづくり」を壊してしまったら、後になにが残るというのか.戦後の日本が如何にして高品質高感度の数々のものを実現してきたのか、その要因を知ろうとせず「モノづくり」の現場に立ったこともないような経営陣ばかりになって、アメリカ流のグローバル化だの自由市場経済だのの宣伝に乗せられて、自分達の強さを自分達で捨てるとは、いったい何事か。

「モノ」が駄目でも、「知恵」があると思えばまだ心は一瞬ほっとするが、ものづくりジャパンが日々壊れていくいま、新しい知恵の創出にシャカ力(りき)にならないと、本当にもう後には何もないことになる。お金が第一の「マネー経済」から倫理が守られる「モラル経済」への転換は難しいのであろうか。(2005/01/01 篠原レポート”日本のモノつくり”から引用)

これだけは言っておきたい!

「英語力」と言う特殊な能力が標準の科目として「試験」されることで、どれほど多くの子供達が自分の持つ才能や能力を発展させる場から締め出されたり、挫折したり、挙句は学習への全般的な意欲を削がれていることを考えれば、日本の英語教育は功罪の罪ばかりである。

自分の置かれた位置、役割、仕事から何が何でも英語を取得する必要のある人は、学生、社会人に関係なく、その努力を惜しまないと信じている、また、英語で書かれた原本(原書)を読めば、世界は、また一つ開けることも分かり。実利だけでなく知性、教養と人間性を高めることが理解できるので、そのような人は更に努力を続ける筈だ。

「身の丈」発言で騒がせた「英語民間試験」の見直しは当然である。「英語力」不足のために大学への入学を断たれることはおかしい。英語の受験勉強に取られている時間は膨大で、他の学科を勉強する時間が削られる。燃え尽き症候群にならなければ良いが・・・。(篠原泰正)