第2章 インテリジエンス編
■インテリジェンスの基本は、情報の収集と分析

  私(篠原)が日本メーカーに在籍していた頃は、イケイケの時代であり、市場にはニーズが転がっていたから、何を作ればよいかを思い煩うことは無かった。その頃から比べると、今やモノづくりに携わる人々にとっては、環境は極めて難しいものとなっているように思える。何を作れば売れるのか見えてこなくなり、また、自社の有する技術がこれからも活躍する場があるのかどうか、見えなくなっているのではないだろうか。

  その原因は、世界の状況が劇的に変ってきたからである。だからこそ「「インテリジェンス」の力が必要であると言える。しかし、危機にあるにも拘わらず、日本人は「インテリジエンス」の力が弱まっている。

  インテリジェンスの基本は情報であり、集めた情報が少ないと話にならないが、同時に、どの観点から眺めるかの分析手法も大事である。手法は学問的にいえば自然科学と社会科学に大別できるが、社会を眺める社会科学もこれまでのやり方が通用しない時代になっているから、ここにも厄介な問題がある。インテリジエンスについての私見を述べていきたい。

イラスト4


1.「情報は資源である」というレポートが、1970年代に米国で発表されていた

  申し訳ないが、このレポートの存在を紹介した書籍名と著者名を覚えていない。その内容は、経営者・リーダーは情報を効率的かつ創造的に使うべき、即ち情報マネジメントを新しい面から見られるよう教育、訓練されるべき、と記述されていたと思う。「情報は競争上優位になること保証付きである」「情報は間違えた投資を防ぐことができる」「情報は、世の中の変化を素早く読み取り、その変質に気づき課題を先取りするのに使える」等。それらの課題を解決するのも、未来を創りだすのも情報である、と。

  これもまた古い資料であるが、ある米国大企業の中央研究所が、所員に対して“どうしたら研究所の創造力を高めることができるか”を質問したそうだ。38%の研究者は、考える、あるいは調査する時間が欲しいと答えている。また 20%は、研究所内のグループ間の、 横のコミュニケーションや共同の必要性を挙げている。14%は、所外の情報が不充分であることを挙げている。これら上位三つの答の表現はそれぞれ違っていても、いずれも創造的な活動を行うために自身の携わっている分野、及び他分野の情報やその 「整理・解析」が不充分であると痛感していることを示しているのではなかろうか。日本企業で同じアンケートを取っても、恐らく大差のない結果が得られるものと思う。(久里谷レポートを、一部引用)

イラスト4-2


2.インテリジェンスの基本は、全体を眺める能力

  表題で述べたとおり、インテリジェンスの力は情報収集能力と情報分析力、そして状況と分析結果の表現力(報告力)ということになろうか。インテリジェンスの最初の作業は情報の収集、そして、その次に来るのが、その情報がホンマものかどうかを判定する作業となる。いずれにせよ、基本的に必要な能力は、時間と空間(場所)の全体図を眺めることができる力といえるだろう。

  この全体を眺める能力は、時間においては「今」、場所においては自分の今居る「ここ」を軸として生きており、それを軸として眺めることを文化の基本としている日本人には、身につけることがなかなかに難しいものとなっている。

  このことは、何かを作り上げる時に、われわれは部分から作り始めるのが一般的であり、アーキテクチャーと呼ばれる全体の構造設計を苦手とすることにも現れている。例えば、マイクロプロセサのアーキテクチャーは描けないが、その部分である半導体メモリーの改良はお手のもの、というようなところにも現れる。

  また、例えば発明の権利を要求する特許仕様書においても、その発明が全体のなかでどこに位置しているのかを明らかにしないまま、突然発明そのものの説明から始める、なんて事にも現れている。

  全体の中の位置を確認することがインテリジェンスとすれば、それに基づく策、すなわち戦略はその全体の中でいかに勝利するかを考え定めるものとなる。日本では、政府から企業まで、「戦略」という言葉が大好きでそこら中に溢れているが、本当に「戦略」という名に値するものが少ないのは、全体把握の必要性が理解されていないことによるのだろう。

イラスト5


3.「研究・開発(R&D)部門」に不可欠なインテリジエンスの力

  1980年代のはじめの頃、シリコンバレーで先進の文書処理システムの開発をしていた時の話である。あるとき、ロス・アンジェレスのアナハイムで恒例のコンピュータショウが開催された。当時日本から若手のエンジニアが常時7-8人は来ていた。開発部隊のリーダーと相談して、せっかくのチャンスだから、開発作業はちょっと中断して、全員で最新のコンピュータ技術の見学に行こうと決め、ツアーを計画して実行した。

  至極、当たり前のことをしたつもりだったが、これが後で総務部門からのクレームを頂戴することになった。研究開発に直接関係しない行動に出張費用は認めない、と。「研究・開発(R&D)」という仕事は、本社のスタッフ部門には理解されていないのだ、という教訓だけが残ることになった。

  研究・開発は、アメリカでは「R&D: Research and Development」と呼ばれている。文字通り、その出発点はリサーチにあり、自分が今から取り組もうとしている開発主題、開発分野に関する世界の過去の実績と現状を調べることから始まる。リサーチは文献による調査研究がメインとはいえ、直接話を聞く、自分の目で見るという作業も重要であることはいうまでもない、と考えていたからだ。

  技術開発におけるインテリジェンスの不足は、日本の病気みたいなものである。戦後40年の間、目の前に追いつき追い越せの対象物が厳然と存在していた時には、その周りまで見渡す必要はなかったので、インテリジェンス不足は問題にはならなかったが、追い越してしまうとお手本はないわけだから、手探りで進むしかない時代がすでに20年近く続いている。それなのにインテリジェンスの軽視は昔のまま、あるいはもっと事態は悪くなっているので、このままでは画期的な開発製品はあまり期待できないだろう。

  余談だが、インテリジェンスが不足しているから、せっかく発明をしても、その発明がその属する技術分野の中でどこに位置し、今までの技術と比べて何が画期的なのかをはっきりと説明できない場合が多いようだ。(特許明細書)を読んでの感想)。欧米のエンジニアは、リサーチの力と自分が行った研究なり発明なりを明確に表現できなければ、一流と認められない。一方、日本では黙々と、研究所のなかで手を動かして、なにやら忙しく「働いて」いれば、ムラの長老の覚えもめでたいことになるようだ。

4.ヴェネチアは、インテリジェンスの手本

  この素晴らしい本(海の都物語:塩野七生)のおかげで、ヴェネチアという小さい国の大きな存在、大航海時代がはじまる前までの地中海の女王の姿が「全部」わかる。この小さな国の豊かな国力は地中海を舞台にしての貿易、地中海の先は遠くインドや中国との交易品の扱いによる。その地中海ナンバーワンの貿易を可能にしたのは、巧みな外交政策であり、その外交を可能にしたのは、各地の状況をリアルタイムで把握するインテリジェンスであった。

  この本によると、ヴェネチアから各国に派遣されていた大使からの「レポート」の客観性(感情を交えず冷静に観察する)と正確度は当時の世界水準をはるかに超えるものであったらしい。ヴェネチアはどのようにして、当時世界最高水準のインテリジェンスを持つことができたのだろうか。一番の要因は、宗教的感情で目が曇ることがなかったことにあるだろう。キリスト教国ではあったがイスラムの国々と貿易するのに躊躇することはなかったし、それ以上に、宗教の違いで人を色眼鏡でみることがなかったようだ。

  この宗教差別なし、人種差別なしの姿勢は、もちろん商業第一の功利から出ているのは間違いないにしても、根底にはもっと別の、それを当たり前とする文化あるいは普遍的な感情があったのではないだろうか。それは、一言でいえば、ギリシャ・ローマ文明から続く地中海文明によるものではないか。すなわち、宗教と人種と文化の多様性を当然の事実として受け止める普遍的感情が地中海世界では受け継がれて来ていたからではなかろうか。

  世界には様々な背景を持った人間がたくさん居る、ということを前提(当たり前)として、世界を見る眼と、多様性を理解できない、すなわち多様性に出会う機会が少ない地域に育った人の眼とでは、物事の正確な把握と報告において、格段の差が生まれるのではないか。

 更にインテリジェンスには「勤勉」という要素が欠かせない。貿易で生きてきたヴェネチア人が勤勉であったことはまちがいない。人口の少ない国だから、「全員出動」で誰もが自分の能力に見合う仕事をわっせわっせとこなしていた。ともあれ、ヴェネチアのインテリジェンスは、色眼鏡を掛けないで状況を観察し、感情をできるだけ混ぜないで枯れた筆致で報告する重要性をしめしてくれている。

5.「華僑」の情報網は、インテリジエンスに値する

  昔、仲間との他愛のない話の中で、もし地球がとんでもないことになった時に、最後まで生き延びる民族は誰だという話題になった。何をディスカスしたかは忘れたが、席上の全員一致の結論は、最後まで残るのは中国人であるという結論になった。

  40年近く前、スペイン船籍のおんぼろ貨客船(戦前の移民船)でイタリアのジェノヴァ(Genova)からメキシコのベラクルス(Veracruz)まで旅をしたことがある。船がジブラルタル海峡(Strait of Gibraltar)を抜けての最初の寄港地はカナリア諸島(Islas Canarias)のテネリフェ(Santa Cruz de Tenerife)であった。この諸島はアフリカ北西部のモッロコの沖合いにあるスペイン領である。

  短い寄航時間の間に港町をぶらついて驚いた。中国人の店がたくさんあったことに。私の感覚ではなんとなく世界の果ての孤島という感じであったのに、こんなところにも中国の人は店を構えているのか、という驚きである。この驚きは、船がカリブ海に入って、キュラソー島(Curacao)、プエルト・リコのサン・フアン(San Juan, Puerto Rico)、ドミニカ共和国のサント・ドミンゴ(Santo Domingo, Republica Dominicana)と寄っていくたびに重なっていった。この調子では、世界のどこに行っても、中国の人が根付いているのではないかと思わざるをえなかった。

  この地球上でひっくるめて「華僑」と呼ばれる、中国本土の外で永住している中国人がどれだけの数がいるのか私の知るところではないが、世界の果てにまで住み着いている印象からすれば、膨大な数であろう。

  彼らの強さは、精神的なものだけでなく、お金もたくさんたくさん持っている。お金を生み出す元は「情報」であるから、華僑の世界情報網はこれまた世界一、ということになるのではないだろうか。もちろん彼らの情報は華僑全体に満遍なく流れるものではなく、血縁・地縁によって水平に何階層にもなって流れているのだろう。世界のどこに住んでいようが、どのような会社や団体に属していようが、血縁・地縁をベースにした集団の中では、最新の情報が駆け巡っていることだろう。

  この華僑の情報網と合わせると、中国が有するインテリジェンス・ネットワークは、多分間違いなく、世界最大と言えるのではないか。サテライトなどによる自然科学系の情報を別にして、こと政治・経済・社会という分野では最大であろう。彼等に比べ我々日本人は、どうだろうか・・・・・・・。