第2章 インテリジエンス編
■日本人のインテリジエンス能力を考える

―日本人は何故、インテリジエンス力が弱いと言われるのかー

  「むら」という共同体(現代では会社など)で生きてきた日本人は、その眼がどうしても内に向いてしまい、なかなか外に向かない。また時間においても、その「むら」のなかで過去にさかのぼって原因追求などしていると、何を遊んでいるのだ、そんな暇があれば田圃の草でも取れ、と上司からお叱りを受けたりすることにもなる。

  このようにみてくると、我々日本人がインテリジェンスに弱いのは当然のところで、その能力を高めるためには、意識して努力することが必要となる。鎖国をして、日本列島の内で静かに穏やかに生きていけるのであれば、何もインテリジェンスは必要ないが、厄介なことに、そうは行かなくなったのがこの150年である。したがって、どうしても、世界の中でどこに日本が居るのか、近代という歴史の中で、今どの時点にいるのかを確認し続けることが必要とされている。

  しかし、全体図の把握に弱いのが日本人の特徴であるというと、それは言いすぎであり、何度も書いてきているように、武門の人々が力を握っていた時には、全体把握に怠りはなく、従ってインテリジェンスにも不足はなかった。とはいえ、なぜか、この特質は日本全体に普及することがなく、それが「文化」といえるレベルまで一般化しなかったのも事実である。

  敗戦の時から20年ほどは、世界の中の日本を痛いほど意識し、西洋世界、特にアメリカとの比較をしながら懸命にものづくりに励んできた。その時には、それなりのインテリジェンスがあったが、そのあとの20年は調子が良くなったものだから、眼がすぐに内向きになり、「夜郎自大」の悪癖がぶり返し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと舞い上がってしまったのは、ついこの間のことである。敗戦の教訓も結局体質までは変えることがなかったことを示している。

  結局、我々日本人は、その一般的な特質として、世界の歴史の中での位置づけ、世界という地理の上での位置づけを、客観・冷静に眺めることができないままにきている。卑下することもなく、傲慢になる事もなく、あるがままに眺めるという姿勢は、一般的な日本文化としては根付くことがなかった。せっかく外に打って出ても、なにか事があると、安穏な「むら」の中に逃げ帰り、その中では例え失敗をしても「まことに申し訳ございません」と深々と頭を下げれば、それで幕は引かれることになる。

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1.日本の歴史から見てとれるインテリジェンスの興亡

  日本の歴史について、以前にも書いたが、公家と武家による支配権の取り合いで綴られており、さらに言うならば、武家は結局お公家衆に取りこまれていく繰り返しを示している。武家、すなわち武門の人々の勢いが強かったときには、「インテリジェンス」とそれに基づく「論理思考」が表に出てきている。論理的思考の出発点は事実の把握、すなわちインテリジェンスであるから、この二つは切り離しては考えられない。

  先ず源平争乱のときであるが、平清盛は武門棟梁の目と考えを失わなかった。福原(神戸)への強引な遷都も、一門の公家化を押さえるためもあったろうが、何よりも、貿易国家、特にお隣の大国「宋」との貿易の拡大のためであった。つまり貿易に目をつけるだけあって、海外の出来事への関心、その情報の入手に熱心であったのだろう。

  この平家を倒し、日本で初めて武家政府を打ち立てた源頼朝とそのバックの北條一門は、海外に国を開く発想までは持っていなかったとはいえ、国内の状況把握は的確なものであったようだ。南は遠く薩摩まで守護・御家人を送り込み統治に成功したのは、並々ならぬ正確な情報の把握があったといえよう。御家人の全国配置は、全国各地からの情報が即座に入ってくる情報網の完成でもあった。元寇の役の時も、対馬の守護宗氏を通して中国大陸の情勢は事前に相当に察知していたのではないか。

  インテリジェンス力が高まったのは、次いで、戦国時代であり、信長と秀吉を先頭に、伊達政宗やキリシタン大名のインテリジェンス力はたいしたものであった。欧州の大航海時代に対抗できるだけの海外知識を得ていたし、武門ではないが堺の今井他の大商人達の情報網もたいしたものだ。

  徳川幕府による鎖国で200年眠っていた後、幕末は、再びインテリジェンス力が上がったときであり、公家化していなかった下級武士・郷士層を中心とする人々の敏感な反応と動きのおかげで、独立国を維持することができた。明治維新の後の急激な翻訳本の出現は、彼らの危機意識の反映でもあったろう。西洋の事情を知らなければやばい、との意識が翻訳本の洪水となって現れたのだろう。しかしそれも1905年の日露戦争までで、その後太平洋戦争の敗戦までは、異常なレベルまでインテリジェンス軽視のときであった。武門の人々が公家化していった40年である。

2.インテリジェンス、あるいは戦場の報告

  インテリジェンスへのニーズは、生き延び、敵に勝つためにある。かつて、ユーラシア(欧亜大陸)の遊牧民は、馬や羊の餌になる草のありかを的確に知ることが命がけであったという。族長の最大の責任は、春から夏にかけてどこへ行けば草が青々と茂っているかを見極め、行く方向を決定することにあったという。それに失敗すれば、一族郎党は行き倒れになりかねない。各地の情報集めには必死であったろう。

  この情報集めの伝統を受け継いでいるのが軍隊であり、貿易商人となる。敵のこと、商売相手のことを知らなければ、仕事にならないから当然であろう。

  前の戦争において、日本帝国陸海軍ともに、いかにインテリジェンスを無視していたか、一つの例証は、日系二世の兵隊(兵も将校も)がいじめの対象となっていたことにも現れている。敵の言語である英語に精通しているバイリンガルの二世兵は貴重な存在であるから、大いに優遇されたであろうと考えるのが普通であると思うが、実際は、どっこい、まるで反対で、「敵性の英語」をペラペラしゃべりやがって、アメリカかぶれのとんでもない奴だと、部隊の中で「イジメ」に会うことになる。

  敗戦の復興を担ったのは製造業の人々であり、彼らは武門の人と呼んで差しつかえないであろう。アメリカを中心としての西洋事情にもう一度敏感になり、工業化のレベルを追いつき追い越していった。しかしそれも40年で幕を引く。その後、今に至る20年は、お公家衆の支配が復権して、同時にインテリジェンスを軽視する姿勢も復活することになった。

  この20年、国家の経営を担う人々から企業の経営を担う人々まで、そして民衆まで、日本を挙げての知性の劣化は、インテリジェンス力の劣化の裏返しである。状況の把握を怠れば、考えなければならない課題も出てこない。課題がでてこなければ、対策を考える必要も無い。対策が考え出されなければ行動もそこには無い。国を挙げて、焦点の定まらぬうつろな目をして、口を半開きにしてボウとしている顔つきになってしまっている。

  武門の人々はパージ食らって地下にもぐってしまったのだ。アメリカや中国でビジネスをしているのに、かの地のことを知ろうともせず、日本でのやり方がそのまま通用するが如く日々目の前の業務をこなしている姿をみるにつけ、不思議の世界に迷い込んだ気がする。

3.特許仕様書(明細書)から見える日本の「インテリジエンス度」

  日本の特許仕様書(明細書)がなぜ、読んでも意味が取れない、奇妙な文書になっているのかを、あれこれ考えているなかで、「日本では、発明の内容が真似されないようにできるだけ曖昧に記述する」ことが、特許関連の村落の中では、「実践され推奨されている」という話を聞いた。話を聞いたときは、マサカ、嘘だろうと思ったが、同じことを言う人にその後何人にも会ったので、どうやら本当の話らしい。凄まじくも不気味な話である。

  特許は、独占権利を一定期間得る代わりに、発明の情報はできるだけ明確に開示することになっている。これは多分世界共通の原則であろう。したがって、発明の内容がバレないようにできるだけ霧のなかに包んだ形で記述するという態度は、そもそも、特許という理念に反し、仕組みに反し、より具体的には、「特許法」に違反していることになる。

  さまざまな人間が、社会の中で生きていくためには、そこに「ルール」が必要であることは、原始社会の時から認識され実施されてきたことである。気に食わなくとも、定められているなら、それに従うのが社会人としての基本である。ルールがおかしい、良くないと考えるのなら、それを改定するべく行動を起こすのが筋であろう。

  発明が真似されるのが怖いなら、特許出願をしなければ良いだけの話である。特許を出せと、第三者に頼まれた、脅迫された訳ではないのだから、自分でしなければいいだけの話しである。特許の理念に反し、ルールに反して、できるだけ発明を曖昧に記述して提出することを実践している人たちが、本当に存在するのなら、その存在はまことに「不気味」である。外国人でなくとも怖い。

  このルール違反が国内特許の世界だけで収まっているなら、世界にバレることもないので、身内の問題で片付けることもできるだろう。しかし、その、意図しての曖昧記述の特許仕様書を英語に翻訳して外国に提出されると、ことは国際問題となる。

  特許を取得したいという欲望と、発明の内容はできるだけ隠しておきたいという願いは両立しない筈だ。

  発明を隠しておきたければ、特許出願をしなければいいだけの話であり、ことは極めて単純である。特許を取りたければ、日本の特許法でも米国の特許法でも同じように定められているように、発明は分かりやすく開示されなければならない。

  二つの相反することを両立させようとすることは、ビジネスの世界で生きてきた者としては、信じがたい行為である。世の中そんなにうまい話は無い。このような単純にして明らかな事実に対して、発明の内容がなるべく分からないようにあいまいに記述する、ということが行われているのなら、なぜそのようなバカバカしいことが長年なされているのかを考えざるを得ない。

  この二つの相反することを成立させようとする努力は、社会的に極めて未熟な頭から生み出されたものではないか。ビジネスの世界で生きていない人々の行動ではないか。理屈を超えて欲しいものをなんとしても取るという態度は、社会心理学的にいえば、極めて幼児性の高い行為といえるかもしれない。

  もし、分かりにくく書くことを自分の優れた技能だと考えている人がいるなら、それは止めてもらいたい。社会的に害を撒き散らしていることになるから。

  なぜかと、考え始めたのだが、どうも明快な分析ができない。信じられないような行動をとる人々を分析することは、なかなか骨が折れる作業である。

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