10.篠原ブログ:(1088) 慣れと差別 (2012/10/15)
私的な話で申し訳ないが、私の母親は生まれも育ちも神戸であり、大正時代の生まれにしては人種的な差別感がまったく無い人であった。多分、当時の日本で最高の国際都市という環境から、世界には様々な人が居ることが子供の頃から当たり前のものとして身についていたのだろう。一方、私の父は栃木の山奥(昔は)の日光に近い土地の出であり、生涯の大半を商社員として過ごした割には、時折人種的差別感がその言動に表れることがあった。
目の色も皮膚の色も宗教も食事の仕方も、何もかも自分と異なる「他者」を差別する姿勢は、上に述べた例のように、多分に生まれ育った環境が影響する。つまり、自分の周りがほとんどまったく自分と同じようであれば、異なる人に出会ったときにびっくりして、あこがれたり毛嫌いしたり馬鹿にしたりすることになる。
スペインは前2世紀頃ローマの属州となり、ローマ文明の影響下に置かれるようになった。その前の支配者はカルタゴである。そして、ローマが滅んだ後はケルト系のゴート民族が北から入り込んで来て、更には8世紀あたりから15世紀までその国土の大半(北のビスケー湾沿岸を除く)はアラブの支配下にあった。もともとの民族はイベロ族と呼ばれる人たちであるが、その実際はよくわかっていないらしい。
いずれにせよ、スペインは民族と宗教の“ゴチャ混ぜ”が当たり前の土地であった。目の色や皮膚の色が気にならない環境が文化となって定着し、差別感が薄い。
(*)コロンブスに始まるアメリカ大陸の原住民に対する態度と蛮行はその多くが当時の狂信的カソリック(反動宗教としての)の影響によるところが強い。
イタリアには紀元前からのローマ文明の伝統がある。すなわち、ローマの基本姿勢は他民族、他人種を区別することなく仲間にしてしまうところにある。ローマ文明があれほどの広がりを持ったその(多分)最大の原動力はこの他者を差別しない姿勢にある。イタリアの土地で誰でも感じる開放感は、この前世紀からの2千年以上におよぶ伝統のおかげなのだ。(*)塩野七生(ななみ)さんの「ローマ人の物語」をぜひ読んでください)。
それだから、近代文明に最初からついてまわっている「差別」という暗い影は、(100%とはもちろん言えないけれど)ラテン地域には縁がない。この地域の人々は昔から世界の様々な人に接し、商売し、婚姻し、隣同士で住んできた都会的洗練を持っていたことになる。