第1章 日本人に必要なインテリジエンス力
1.ヴェネチア、あるいはインテリジェンスの手本
塩野七生さんの「海の都の物語」
この素晴らしい本のおかげで、ヴェネチアという小さい国の大きな存在、大航海時代がはじまる前までの地中海の女王の姿が「全部」わかる。この小さな国の豊かな国力は地中海を舞台にしての貿易、地中海の先は遠くインドや中国との交易品の扱いによる。その地中海ナンバーワンの貿易を可能にしたのは、巧みな外交政策であり、その外交を可能にしたのは、各地の状況をリアルタイムで把握するインテリジェンスであった。
この本によると、ヴェネチアから各国に派遣されていた大使からの「レポート」の客観性(感情を交えず冷静に観察する)と正確度は当時の世界水準をはるかに超えるものであったらしい。
ヴェネチアはどのようにして、当時世界最高水準のインテリジェンスを持つことができたのだろうか。一番の要因は、宗教的感情で目が曇ることがなかったことにあるだろう。キリスト教国ではあったがイスラムの国々と貿易するのに躊躇することはなかったし、それ以上に、宗教の違いで人を色眼鏡でみることがなかったようだ。
この宗教差別なし、人種差別なしの姿勢は、もちろん商業第一の功利から出ているのは間違いないにしても、根底にはもっと別の、それを当たり前とする文化あるいは普遍的な感情があったのではないだろうか。それは、一言でいえば、ギリシャ・ローマ文明から続く地中海文明によるものではないか。すなわち、宗教と人種と文化の多様性を当然の事実として受け止める普遍的感情が地中海世界では受け継がれて来ていたからではなかろうか。
世界には様々な背景を持つということを前提として、さらには当たり前の考え方として世界を見る眼と、多様性を理解できない、すなわち多様性に出会う機会が少ない地 域に育った人の眼とでは、物事の正確な把握と報告において、格段の差が生まれるのではないか。
欧州においては、前者の多様性容認派は、ざっくりいえば、ラテン系民族であり、後者の多様性無理解派はゲルマン系(アングロ・サクソンもここに含まれる)、スラブ系ということになろうか。
インテリジェンスにおける正確度からみれば、多様性を認める姿勢からの状況把握と分析が優れていることは間違いない。それでは、欧州のインテリジェンスはラテン系のほうがいつも優れていたかと言うと、もうひとつの要因を検討しなければならない。
つまり、インテリジェンスには「勤勉」という要素が欠かせないということを。貿易で生きてきたヴェネチア人が勤勉であったことはまちがいない。人口の少ない国だから、「全員出動」で誰もが自分の能力に見合う仕事をわっせわっせとこなしていた。
一般的にいえば、ラテン系民族と「勤勉」は結びつかないので、せっかく多様性を認める、曇りのない眼を持っていても、このヴェネチア以降インテリジェンスに強い国が現れたとは聞いていない。
ただ一つ、大航海時代における、ヴァチカンを本山とするカソリックの布教組織は、多分当時世界最大の情報ネットをもっており、世界各地から刻々と情報がヴァチカン総司令部に届く仕組みになっていた。これは、宣教師というまじめ・勤勉な存在があってこそ成り立った情報システムである。
ともあれ、ヴェネチアのインテリジェンスは、色眼鏡を掛けないで状況を観察し、感情をできるだけ混ぜないで枯れた筆致で報告する重要性をしめしてくれている。15世紀に到達していたこのレベルを超えられない例はそれ以降各国であり、特にわが国では顕著である。(篠原ブログ 2007.06.12.篠原泰正)406