5.問題は、情報の質や量でなく使う人の資質にある

優秀と言われる人材は、官僚や有名企業を目指す。彼等は子供の時から優秀と褒められ挫折もなく育ってきた。見方を変えると、そこから外れた人たちは挫折経験もあり個性的であるといえる。進学や経済事情で早くからで挫折感を味わった人たちは別の価値観を持って生きている。このような人たちの“ゴッタ煮”こそが、組織や会社を元気にする源泉となれる。

さて今時の、指示待ち世代にそんなことは可能だろうか。彼らは、たわいのない対話から情報を膨らませることは可能だろうか。挫折を経験した人たちには、それぞれ独特の経験を持っているので普通に通り過ぎる情報にも変な引っかかり方をすることがある。光がプリズムで曲がって色を発するようなものである。情報の質や量を問題にする前に、情報を発信したり受けたりする側の人に問題が無いかを考えてみるのも無駄ではない。

1. 情報をたくさん持っている人は、仕事が早くて独創的で面白い

知的興味が旺盛で、何でも面白がる人には、自然に人が寄ってくる。そこで対話が始まって情報が盛り上がる。これまで見えなかったものが見えてくることがある。それができる人たちは、組織や会社の大小にかかわらず生き残る才覚を持ちあわせているといえる。

組織や会社にそのような人たちがいると、にぎやかで、逞しくて、アイデアに溢れ、仕事に役立つ情報も得られる。コミュニュケーションが必要な場であれば、当たり前といえば当たり前のことばかりである。その当たり前が身に備わっているかどうかは別の話である。ひっくるめた言い方をすると“ものごとを面白がる面白い人間になろう”ということである。自分が発信者側に回ることで、見えないものが見えてくることがある。

対話をするには相手のことをよく知ることが大事で、相手とコミュニケーションが成立するには何か共通のものがあれば話しは弾む。例えば趣味が同じ、出身地が同じ、同世代である、同窓生である、カミさんが怖いなど、きっかけは何でもいい。

同じ体験をしても、ある人の話には含蓄があって、ある人の話は通り一遍で終わってしまう。それは視点の違いや発想の違いからくるものである。ある人が言う「今年の夏は暑かった」。ある人が言う。「アラブの人も40度を越すと駄目らしい。仕事をしなくなるので、天気予報では40度以下にごまかして発表するらしい。日本人は40度を越しても、満員電車に乗り込んでご出勤に及ぶのではないだろうか。ちょっとした違いなのだが、話をするなら後者のような話のできる人とお付き合いをしたい。情報に色や匂いをつけられる人は普段からの習慣が身についている。

新聞・雑誌などでコラムニストといわれる人がコーナーを持っているが、彼らは視点の違いを売りにしている人たちである。視点が違うからどうしたというのだ、という意見もあるが、少なくとも、対話の材料にはなる利点がある。そういう意見自体が視点の違う意見で、それをネタにして対話がそこから始まる。情報を自分なりに加工できる能力は、現代に必須なものであるといえる。まさに「報(ドライ)」に「情(ウエット)」が絡んで「情報」となる。

2.「余談」:情報の選択は斜め読みし、関心情報は深読みする

新聞はできる限り目を通すことにしている。なぜなら新聞は世間の縮刷版みたいなもので、雑多な情報が盛り込まれているからだ。この「ごった煮性」が新聞の良いところである。4コマ漫画にも世情が現れている。識者や読者の声も参考になる。広告欄を丹念に見て、世相を眺めるのも楽しい。同じ事件、同じ報道であってもメデイアによって報道の仕方が違うのも興味がある。

旅行先で地方紙を読むことも面白い。全国レベルでは小さな扱いでもその地方に関わることであれば大きな記事になっている。例えば沖縄基地に関する記事、原発の再稼動に関する記事などは地方紙ならではの視点で書かれている。東京から発信する情報量は膨大だが網羅的で分散しているぶん現場の声が聞こえない。地方紙は東京にいる欠点を補う。また書店の新刊コーナーをウオッチするだけでも流行や社会の動向が見て取れる。

通信(ネット)によるコミュニケーション手段の進歩で情報の入手は容易になっている。ネットから得た情報の中に、それ自体が課題を解決するに役に立つ情報もある。しかし、そういった情報に「たまたま出会う」ことばかりを期待していては創造的(クリエイティブ)な仕事はできない、つけない。なぜなら、いまや個性的な発想や表現ができる独創性のある人材が求められているからだ。ところが厄介なことに仕事で役立つ多くの情報は、グローバル化によって英語で発信されている。だが幸いなことに日本人の英語苦手は「A I翻訳ソフト」の支援で解消されていくと思う。