3、ヨーロッパの歴史から学ぶ「言語と文化」
書籍:『日本人が知らない 「世界史の原理」』(発行:ビジネス社)
異色の予備校講師が、タブーなしで語り合う 茂木誠 宇山卓
1、最大の謎、日本語の起源を考える p85-86
茂木:
『.1,日本人の原型を作ったのは一万数千年にわたりこの列島で生活を営んできた縄文人であり、日本語もこの時代に形成されたものと推定できる。2,弥生時代と古墳時代には、大陸の戦乱を避けて大量の渡来人(新モンゴロイド)が日本列島に渡ってきたが、彼らは縄文人と共存して日本語を学び日本人になっていった。(中略)この縄文の遺伝子が現代人まで受け継がれているという事実は、世界の中で日本人の特性―、気づかいややさしさ、自然との共存―を考えるうえで無視できないことだと思います』。
宇山:
『縄文時代が日本人の原点だと思いますし、縄文人の気質が我々の中に残っています。日本人はいつの時代にも外来の文化と敵対することなく巧みに受容しつづけ、それを日本の文化に作り変えてきました。異なる価値観を持った人々と争うのでなく、それをとりこんできましたし、その共存協調の驚くべき力こそ縄文人のDNAを色濃く受け継ぐ日本人の原点でしょう』。
茂木: 『大陸の戦乱に巻き込まれなかった日本列島という「非難所」で縄文人が長い、長い時間をかけて育て上げた森の文化と言葉。これが日本文化です。日本列島へ逃れてきたさまざまなルーツを持つ渡来人が、ゆっくりとこれを受け入れ、形成してきたものだったのです』。
2、ヨーロッパの国々は、どのように誕生したのか p116-119
宇山:
『ヨーロッパは中世以降、分断国家として歴史を歩むことになります。800年カール大帝が西ヨーロッパを統一するも一代しか続かず、彼の死後、帝国はドイツ、フランス、イタリアの3国に分断されます。ヨーロッパで、中国のような巨大統一王朝が形成されなかった主な理由として、地政学的な特徴が挙げられるでしょう』。
茂木:
『地形はものすごく重要です。騎馬民族が入り込めない深い森が続くアルプス以北の西ヨ-ロッパは、ロシアや中東、中国などユーラシア中央部とはまったく別の道を歩みました。民族が混じりあうことが比較的少ないため、それぞれの民族文化がゆっくりと醸成され、話し合いと合意によって物事が決まるという文化が育ちました』。
宇山:
『また4世紀のゲルマン人の移動以降、ラテン人(ローマ人)、ゲルマン人、スラブ人の3勢力が均衡し、互いに牽制し合いながら、バランスをとるという政治力学が優先されました。こうした状況で、西ヨーロッパでは、ラテン人の領域として、フランス、イタリアが、ゲルマン人の領域としてドイツが区分化されて行きます。(中略)
これら3国の中で、ゲルマン人の文化や言語を受け継いだのは東フランク王国(ドイツ)でした。(中略)ゲルマン人は、言語までも支配するには至らず、ラテン語文化が残り、そこから派生してフランス語が形成されます。そして、人口の大半もラテン人が占めました。イタリアは教皇がおり、カトリックによる文化統治が徹底されたため、ラテン語文化が保持されます』。
3、水上の交易ネットワークを独占したノルマン人 p120-122
宇山: 『9世紀、西ヨーロッパは大きく成長し、豊な経済がマーケットや、それを繋ぐ商業ネットワークを生んでいます。トラックや鉄道が北海のなかった当時,モノの運搬は海の路を行く船で行われていました。バルト海や北海のヨーロッパ北部沿岸部に物流拠点が形成されます。そして、その物流を担ったのが「ヴァイキング(入り江の民)」と呼ばれるゲルマン人の一派でした。彼らは、北方に住んでいたため、「北方の人=ノルマン人」と呼ばれています」。
宇山:
『9世紀、西ヨーロッパは大きく成長し、豊な経済がマーケットや、それを繋ぐ商業ネットワークを生んでいます。トラックや鉄道が北海のなかった当時,モノの運搬は海の路を行く船で行われていました。バルト海や北海のヨーロッパ北部沿岸部に物流拠点が形成されます。そして、その物流を担ったのが「ヴァイキング(入り江の民)」と呼ばれるゲルマン人の一派でした。彼らは、北方に住んでいたため、「北方の人=ノルマン人」と呼ばれています」。
4、アングロ・サクソン人とイギリスの歴史 P122-126
宇山: 『一方、北海・ドヴァー海峡で、現地人(アングロ・サクソン)やノルマン人同士の複雑な抗争を経て1066年、ノルマン王朝がつくられます。ノルマン王朝はイギリスの母体となります』。
宇山:
『イギリスには11世紀にノルマン王朝が成立する前に、アングロ・サクソン人が定住していました。アングロ・サクソン人もまたノルマン人同様にゲルマン人の一派です。(中略)。17世紀にはイギリス人がアメリカ新大陸に入植したため、 アングロ・サクソン人はイギリス人とアメリカ人の両方を指すようになります。これが今日においても「世界の支配者」と呼ばれるアングロ・サクソン人のルーツです』。
(*)アングロ・サクソン人は5世紀、ドイツの北西部からブリテン島に移住したアングル人とサクソン人の総称であると書かれている。
茂木:
『アングロ・サクソン人もドイツのザクセン人も同族で、英語はドイツの語の方言です。
ところが海外発展して植民地帝国を築いたイギリスに対し、ドイツはそうならなかったのはなぜか、という点に私は興味があります。(中略)
イギリス王家は、父祖の地であるノルマンディーを巡るフランスとの戦いを断続的に続けました。最終的には「100年戦争」で敗北したため大陸領土を放棄し、純然たる島国になりました。しかしこの敗北こそ、その後のイギリスを大発展させることになったのです。英仏間のドヴァー海峡の幅は、日韓間の対馬海峡の幅の6分の1以下ですが、潮の流れは急で、大陸からのイギリス上陸を拒んできました。(中略)
島国となることで地政学的優位性を得たイギリスは、本国防衛には最小限の兵力だけ残し、余力を海外の植民地建設に振り向けることができたわけです。海に出たがるブァイキングの遺伝子と、大陸から攻めにくい地政学的優位性。これが大英帝国を生み出した原因だと私は思います』。