5、覇権国家・三つの条件とは
イギリスの世界支配・覇権の構造 p247-249
宇山:
『イギリスは巧妙な「収益・収奪」のシステムを形成し、膨大な利益を世界中から集めました。社会学者のイマニュエル・ウォラーステインによると、覇権国家は「圧倒的な生産力」、「圧倒的な流通力」、「圧倒的な金融力」の三つの条件を持ちます。近世以降、そのような覇権国家となった国はオランダ、イギリス、アメリカの三つの国だけである、とウォーラーステインは述べています』。
茂木:
『もう一つのポイントは、ユダヤ人です。投資や金融はユダヤ人の得意分野ですが、スペインのイサベル女王が、レコンキスタ(対異教徒戦争)に勝利した結果、ユダヤ人を全て追放してしまいました。行き場のなくなったユダヤ人は、スペインの宿敵である英欄に難民となって大量流出しました。
このことは、アムステルダムやロンドンにユダヤマネーが流出しましたことを意味します。世界初の中央銀行はアムステルダム銀行ですし、世界初の先物取引もアムステルダムで始まりました。17世紀、オランダの貿易量は世界貿易の50%に達しています。
ユダヤ人は新大陸に英欄が建設した植民地にも流出しました。たとえばオランダ領ニューアムステルダムはユダヤ人の避難所として出発し、後の英欄戦争で英領となりニューヨークと改称しました。
当時のニユーヨークは、マンハッタン島の南半分だけであり、境界線にはオランダが建設した城壁があました。ニューヨークの発展とともに城壁(ウオール)が取っ払われて東西道路となり、壁の記憶は「ウオール街」の名前として残りました。ここにユダヤ系の銀行が軒を連ねたため、のちに世界の金融センターへ変貌します』。
6、イギリスの悪辣なる収奪システム
宇山:
『イギリスを覇権国家に押し上げた主要な原因は産業革命による生産力拡大でないことは明らかです(*)。イギリスが他国よりも優位に立つことができた根本的な原因は、他国がマネできない独自の収益構造を形成することができたからです』。
(*)イギリスの国際収支図表17-1が、この書籍で記載されています。
出典:Albert Imlah 『Economic elements in the Pax Britannica』
茂木: 『工業製品の輸出で収益を得る産業資本の段階から、資本輸出(海外投資)でリターンを得る金融資本の段階へ進んだわけです。これはすべての工業国がたどる道です』。
宇山;
『イギリスの悪辣なる収益構造の拡大は3つの段階があります。第一段階は16世紀の私掠船の略奪、第二段階は17~18世紀の奴隷三角貿易、第3段階は19世紀のアヘン三角貿易です。
第一段階の私掠船とは、国王の特許状を得て、外国船の捕獲にあたった民間船で、国王が許可し、国王や貴族が資金援助した海賊船でした。イギリスの私掠船は、スペインやポルトガルの貿易船を繰り返し襲い積み荷を略奪しました。積み荷を売却した利益は国王や貴族に還元され、イギリスの初期資本の蓄積に寄与します』。
7、「黒い積み荷」と「白い積み荷」
茂木: 『イギリスの第2段階の収奪は17世紀後半以降の黒人奴隷貿易です。イギリスは銃や剣などの武器をアフリカに渡し、黒人奴隷と交換します。黒人をカリブ海の西インド諸島に搬送し、砂糖ブランテーションで強制労働させて、砂糖をイギリスに持ち帰る三角貿易を行います』。
茂木; 『黒人奴隷貿易は、中世のムスリン商人が始めました。これを模倣したのがポルトガル人で、その規模を拡大させたのがイギリス人でした』。
宇山: 『イギリスは17~18世紀、スペインやフランスという競合者と戦争をし、彼らに勝利することで、奴隷貿易を独占し、膨大な利益を上げていきます。当時、奴隷部益ビジネスヘ出資した投資家は30%程度のリターンを得たとされます』。
8、インドのアヘンと中国の茶を結びつける三角貿易
宇山:
『奴隷三角貿易の衰退とともに、19世紀、イギリスはインドのアヘンと中国の茶を結びつける三角貿易をはじめます。イギリスで喫茶の習慣が拡がり、イギリスは中国の茶を求め、銀で支払いをしていました。そのため、イギリスは輸入超過状態となり、銀の流出がとまりませんでした。そこで、イギリスはインド産のアヘンを中国に輸出し、銀に代替えさせ、茶を中国から得ました』。
図説 満州帝国 太平洋戦争研究会著 (河出書房新書) 引用
『十九世紀は東アジア地域における、ヨーロッパ列強に新興国・日本を加えた“植民地争奪の世紀といってもいい。東洋でその先陣を切ったのはイギリスで、1840年に始まったアヘン戦争によって香港島の割譲など中国侵出の足掛かりをつくったイギリスは、その後もさまざまな口実をもとに次々と中国での権益を拡大していった。フランスとロシアも後に続いた』。
(*)8列強とはイギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、イタリア、オーストリア、ロシア、日本
(*)満州国は国家といいながらも、日本の完全な植民地であったことなどが書かれている
(*)1937年12月13日、南京を占領した日本軍、大虐殺事件を起こす、、
イギリス独自の収益構造(ビジネスモデル?)に改めて驚いている。『阿片の中国史』 (新潮新書 著者 たん ろみ)を読みながら近代文明に対する容認の気持ちが揺い でいる。また植民地支配の道具は言語であること。原住民は宗主国民の命令が聞き 取れればよい。読み書きは必要ない。余計な知識を持つことば好ましくない。この支 配思想が、今の2極化を生み出しているとしか思えない(矢間)