14.篠原ブログ:(1092) 自営業・農・工・商 (2012/10/24)
自営農、自営漁、自営工、自営商という存在は中世から存続してきた生業であるが、近代文明の暴風雨の前に、いわゆる先進諸国地帯では、壊滅的な様相を示している。街を見渡せばスーパーとコンビにと居酒屋チェーン店だけという殺風景な姿を示している。
自営なんとかという生業(なりわい)は基本的に実入りの少ない業である。家族総出で忙しく立ち働いてもその収入は少ない。しかしそこには家族がある。これらの伝統的生業を続けてきた家族は今、どこでどうしているのだろうか。
近代文明の旗印の一つである「大規模」の前に、抵抗する側の力は弱く、近隣の住人からの支援も援軍もこなかった。「大規模」は良いことだと洗脳されてしまっているから、地域でこれまで慣れ親しんできた八百屋さんが店をたたんでも心が痛むことがなかった。駅前の商店街を「シャッター街」にしてしまったのは、昨日までそこで買い物していた近隣の住人自身の態度が強く影響しているとも考えられる。
(*)大規模小売店法ができたからだけではない
そういう中で、頑固に自営なんとかという生業を守り通している地域にスペインとイタリア(多分フランスも)がある。そこでは、町、街、村というコミュニティの連帯が強く、更に家族というつながりを大事にするから、近代文明の「大規模」への大きな抵抗勢力として存在し続けている。あるいは、別の面から言えば、彼ら(スペイン、イタリア、フランス人)は「大規模」にアレルギーを持っているかに見える。大規模イコール人間的つながりの喪失ということを直感的に理解しているから、「大規模」という旗にさほどの魅力も感じない。
更にみれば彼らは大規模システムの運営は苦手であるとも言える。そのようなシステムに巻き込まれては、葡萄酒飲みながらうまい食事をお喋りしながらゆっくりと味わう時間、即ち生活の最も重要な要素の一つを捨てなければならない。だから、本真面で取り組むつもりにならず、それが苦手という現象で現れているだけかもしれぬ。
近代文明を最もよく表現する言葉は、多分、「破壊」であるが、自営農・漁・工・商の破壊は地域人間社会から温かみを奪い、無機質的な地域社会に変えていくことになった。その無機質の社会に住んでいると、ラテン地域がまだ保っている何やら「温かい」ものに、多くの人が惹かれることになる。がんばってくれ、ラテン!