18.篠原ブログ:(1096) アラブ・イスラムとラテン (2012/11/01)
職業に貴賎は無いと言われるが、漁師という仕事は高貴である。若い頃、漁師に憬れていたのでそのように思うだけかもしれないが、海という自然の中で魚という獲物を追い求めて生きる「狩人かりうど」という職業形態には高貴な香りが付きまとう。
同じように、遊牧の民にも「高貴」という香りが感じられる。地の果てまで広がる大地の上で馬や羊と共に牧草地から牧草地へとさまよいながら生きる姿には気高さがある。遊牧の民が誇り高いのも当然であろう。
アラブ・イスラムの人々が誇り高い人たちであることは、多分、この遊牧という生活様式に関係していると、私は思っている。同時に、現代の文明様式を受け入れる素地が最も薄い人々とも思う。アラブ・イスラムの人から見れば、多分、この近代文明の下での生き方は受け入れにくいであろう。
昔、地中海はラテンとアラブ・イスラムの人々の交流の場であった。交易と呼ばれる物の交換だけでなく、美術から学術(哲学や科学や数学などなど)、つまり感性と知性の交流の場でもあった。キリスト教の下で欧州が中世という暗黒の千年を過ごしている間、ギリシャ・ローマの知性を受け継ぎ残してくれたのはアラブ・イスラムの民であった。その知的財産の多くがアラビア語に翻訳されていたおかげで、それらをラテン語に戻すことによってどれだけルネサンスの力となったことであろう。
その一つを見ても、ラテンの人々にとって、アラブ・イスラムの民は大昔から付き合ってきている「隣人」であり、その存在に何の違和感も無いはずである。特にスペインは、中世の700年間、国土の大半がアラブ・イスラムの国家経営の下にあった地である。多分、誰の家系でもさかのぼっていけばアラブのご先祖に出会うことになるだろう。
ところが、近代文明の主役であるアングロ・サクソンの人たちが欧州の表舞台に立つようになったのはせいぜい18世紀の初めであるから、アラブ・イスラムとの接触はほとんど経験してこなかった。
地中海世界の支配層であったアラブ・イスラムとラテンの人々は、言ってみれば花の都の都会人であり、多様な民族、多様な文化、多様な思想、多様な芸術が日常の生活の場で当たり前であった。それに比べて、アングロ・サクソン(広くはゲルマン)の人々は多様性に縁遠い田舎人というしかない。