19.篠原ブログ:(1097) 自営業と根こそぎ漁船団 (2012/11/02)

私の知識の範囲では、イタリア、スペイン、フランスに大規模漁業船団は存在しない。底引き網とかいう海底から海面までの水中に生息する魚類を「根こそぎ」捕らえるなどの大規模漁法は、日本、中国、韓国、台湾、カナダ、USA、ノルウエイといったところのお家芸であり、ラテンの民の影はここにはない。
(*)ビスケー湾から北海にかけて活躍するスペイン北部のガリシアの漁業は例外かも?

太古の昔から漁業は小規模経営で行われ、それは表現を変えれば家族経営を軸にしての漁村という共同体の協同経営であった。従って、その活動範囲はほとんど沿岸漁であり捕獲高もたいしたものではない。そのような、人類で最も古い職業の一つである漁師の活躍の場に、近代文明という波が押し寄せ、大きな資本(お金)でもって大きな船と最新鋭の漁具で武装した船団が大洋を我が物顔に走り回るようになった。いつ頃からであろう。小林多喜二が小説「蟹工船」でこの大船団で働く労働者(漁師ではない)の過酷な労働を描いたのは戦前のことであったから、20世紀も早い時期から存在したのだろう。

あるいはもっとさかのぼれば、19世紀後半のアメリカやノルウエイの捕鯨船、鯨の油を取るためだけで、彼らの子孫が今大好きな、鯨をあわや根絶やしというところまで捕り尽した漁業は、近代的ビジネスのはしりであったとも言えるかもしれない。

大資本・大船団・近代漁法の魚とりは、他の近代文明の局面と同じように、破壊をもたらした。その破壊の第一は、家族経営漁師の破産である。第二は、魚を取りすぎて大洋が空っぽになりつつあるという大破壊である。もちろん、近代工業社会が空中に撒き散らすごみのために、海水の温度が上がり、更に酸性化が進んでいるという側面からの魚類絶滅化もあるが、なんと言っても「一網打尽」という仕業が恐ろしい。第三の破壊は、遠洋大規模漁業を可能にした冷凍技術とその大型設備により、家庭の食卓に現れている。

小さな漁船から港の魚市場、そして町の魚屋から家庭へという鮮魚ルートが無くなり、冷凍魚は工場で加工され、原型をとどめず切り身となってスーパーに並ぶという仕掛けになってしまった。おいしい魚を家庭で料理して食べるという「文化」が破壊されてしまった。自営漁という大昔からの高貴な職業は消えていき、生きのいい沿岸の魚も家庭の食卓から姿を消してしまった。