4.理科系の作文技術 木下是雄先生の教えから学ぶ

【書籍】:『理科系の作文技術(中央公書)』

井上ひさし(故人)さんの著作、日本語教室(新潮新書)の中で、木下是雄先生(当時、学習院大学理学部教授)が書かれた『理科系の作文技術(中央公書)』について“素晴らしい御本だ”と紹介しています。

この『理科系の作文技術(中央公書:初版1981年9月25日』が、2024年2月5日に増版(92版)されています。欧米語とは、日本語とは一体どんな言語なのか、興味ある人にお勧めの書籍です。私には、人様を説得できるだけの学識と経験が全くありません。木下是雄先生は、実際に学生たちへ指導してきた経験を基にして述べられているので“いちいちご尤も”説得力があります。

木下先生は、この書籍の中で、理論物理学者のレゲットが日本語について述べていることを紹介されています。

引用:

『日本語では、いくつかのことを書き並べるとき、その内容や相互の関連がパラグラフ全体を読んだ後ではじめてわかる。―極端な場合は文章を全部読み終わってはじめてわかるーという書き方が日本では許されているらしい。英語ではこれは許されない。一つ一つの文は、読者がそこまで読んだことだけによって理解できるように書かかなければならないのである』と。p76

つまり英語では読者が想像力を働かせながら、あるいは補って読んでくれるということはとはとはあり得ない。そして、木下先生は、さらに明言を避けたがる心理を持つ日本人と西欧人との差についても次のように、わかりやすく簡潔に述べられています。

引用:

『日本人は、はっきりしすぎた言い方、断定的な言い方をさけようとする傾向が非常に強い。たぶん、「ほかにも可能性があることを無視して自分の意見を読者に押し付けるのは図々しい」という遠慮ぶかい考え方のためだろう。ところがこれは、欧米の読者の大部分にとっては、思いもつかぬ考え方である。この日本式のゆかしさを解するには自分たちの普段の考え方をスッパリ切り替えてかかるほかないが、それは、たいていの欧米の読者にはできない相談だ』。p90

さらに、西欧の文明は極めて独特で、その文明をそれ以外の世界へ共用してきた唯一の文明であることも触れています。

引用:

『日本と西欧との文化の差に根差す深い溝である。私はそれぞれの社会の中で生き抜いていくための知恵が、長年のあいだに、必然的に、ものの言い方を、それぞれの型にはめてしまったものだと思う。欧州は、古来、多くの民族がせめぎあって栄華盛衰を繰り返し、今もその跡が刻まれている土地である。一つの国にいくつかの民族が道教している例は珍しくない(中略)

異なった歴史を背負い、異なったことばを話す人たちの交流はむずかしい。複雑・歪曲の言い回しは、しばしば誤解を招く。相手の共感を呼ぼうとしてかえって怒らせることも少なくない。いきおい、交渉のしかたは、自己の主張を徹底させることを第一に、くどいほど隅々まで明確に、ということになろう。欧州にそういうものの言い方を発達させたもう一つの原因として私が考えるのは、欧州の社会は契約社会、契約を土台として成り立っている社会ということだ』。p92

そして理科系の作文技術について、学生たちへ次のように指導されています。

  • 1) 曖昧を残さずに明確に書くこと、ぼやかして書くことは許されない。必要なことは漏れなく記述し、必要でないことは一つも書かない。
  • 2) 明快・簡潔な文章の要件は、論理の流れがはっきりしており、一つの文と文との結びつき方が明瞭なこと。主張が先にあって、それを裏付けする材料を探すなどということはあり得ない。
  • 3) 一義的に読めるか、他の意味にとられる心配はないか、はっきり言えることはズバリと言い切る、ぼかした表現はさける。なるべく短い文で文章を構成する。
  • 4) つまり、理科系の作文技術には「人の心を打つ」「琴線にふれる」「心を高揚させる」「うっとりさせる」というような性格が一切無視されていることである。