―篠原ブログ(228) 丘浅次郎、あるいは明治期の文章―

司馬遼太郎さんの「この国のかたち」第6巻に言語についての感想という小論がある。その中で興味深い人物が出てくる.丘浅次郎という明治初年に生まれた生物学者がそれである.私は浅学ゆえにこの人のことはまったく知らないが、司馬さんによれば、彼は作文で大学予備門を落第したのだそうだ.

しかし、『丘の文章は、地理の教科書のように事物を明晰にとり出し、叙述も平易である.たとえば「善と悪」(大正14年)という高度な倫理学的主題について生物学の立場から展開した文章などは、述べかたが犀利(さいり)で、論旨が明快なだけでなく・・・』

丘さんの「落第と退校」(大正15年)という文章から、司馬さんの引用を孫引きすると、『私の考えによれば、作文と自分の言いたいと思うことを、読む人にわからせるような文章を作る術であるが、私が予備門にいたころの作文はそのようなものではなかった。むしろなるべく多数の人にわからぬような文章を作る術であった』

丘さんが、自分の言いたいことを他人にもわかってもらうように作文したおかげで,落第させられてから120年以上の年月が流れているが、今の世にもまだ「なるべく多くの人にわからないように書く」ことが霞が関やその下部機関に横行していることを彼が知ったら、それこそ仰天するのではないか.

あるいは福沢諭吉のように、自分の文章は猿にさえ読めるように書く、といっていた人からみれば、自分があれほど熱心に進めてきた「学問のすすめ」が結局一部の人々には馬の耳に念仏であったかと、嘆くことになりはしないか.丘さんや福沢さんに、現在の国内の「特許明細書」を見せれば、自分たちがあれほど努力してきたことが生かされていないことを知り、うつ病にでもなってしまうかもしれない.

一つの社会のなかで、明晰な文章と論理的に明快に組み立てられた文書がどのレベルまで流通しているかによって、その社会の「文明」の度合いが測られるとすれば、日本は未だに明治初年のレベルを脱していないのではないかと思いたくなる。

西洋においては、論理的に明快に文章を書けることがエリートの基本条件となっている.日本においては、なるべく読む人がわからないように書くことが、エリートの証(あかし)?となっているらしい.おかしな社会ではある.(2006/08/1706.8 篠原泰正