3.日本が目標とするアメリカ様のインテリジエンス力

アメリカが日本との戦争を決心したのは何時だったのだろうか。1931年の満州事変以降、日本の動きをみながら、1937年の日中戦争勃発で最終的に決めたのだろう。アジアでの権益という面で、これ以上、日本をのさばらしておくわけにはいかない。もちろん日本の動きだけではなく、大恐慌(1929年)以降の復興をより早く強く大きくするためという国内事情もあったと思われる。

当時の日本政府(国家権力集団)が、どのような構造を持ち、何を考えているかは、アメリカは重々承知であったろう。このインテリジェンスをもとに経済制裁を含む戦略をたくみに組み立て、結局日本が暴発をせざるを得ないように追い込んでいったと思う。

特に欧州に参戦するためには当時、消極的だった国民を説得する必要があったから日本の暴発が、ぜひとも必要な出来事であった。これが、真珠湾というこれ以上願ってもない形で実現することになる。アメリカ国民の世論は一気に高まり、欧州参戦と日本潰しという両戦略は熱狂の中で進めることができたのだと思う。

日本を叩き潰す戦略が広範囲に考えられていたことは、戦争が始まる前から、社会学者のルス・ベネディクトさんに、日本人とは何か、彼らが構成する日本社会とは何かの研究を委託していたことでも明らかである。

占領後の日本をどのように統治すべきか、それを考えるためのガイドブックが必要であると、開戦前から準備されていたことになる。委託結果は社会学上の手本の一つともいえる「菊と刀」となって現れた。

このようにアメリカは日本政府の動きや考えは、優れた情報網で既に承知していた。しかし、日本社会の事情となるとよく分らなかった。表向きは近代国家であるが、その内実は「不思議の国」日本であった。事情をできるだけ掴んでおかないと占領政策を組み立てられないから、社会学という手法から把握に努めたわけだ。(07/06/11)