2.英語は、論理的であるから分かりやすい

日本人社会は「以心伝心」を期待した争いを好まない言語で成り立っており、論理的に議論することが苦手といわれている。しかしグローバル社会で生きていくには「面倒だけれど論理性を身に付ける必要がある。

問題がここにあり、それを解決するためには、このようにしなければならない、そのためにはこのような努力が必要である。等々を説得し理解を求めるためには、論理的に筋道を立てて説明しなければならない。その「論理的説明」には「言語」という道具が必要となる。その言語が英語である。

西洋世界が長きに渡って世界をコントロールできた要因の一つに、この言語、つまり欧州言語、英語の存在を挙げることができる。

この論理的で構造的な言語を持っている強さでもって、西洋世界は自国内の経営だけでなく、植民地を経営する場合も、うまく収めてくることができた。植民地から独立した諸国が、今でも元の宗主国の言語を公用語としていることからも、その言語による浸透力が高かったことが分かる。

中でも英語が「ナンバーワン言語」の位置を占めることができたのは、言語そのものが他の欧州言語と比べて構造や時制や人称が「単純」であるということが、大いにその力となったと考えられる。

ともあれ自分たちの文化とは大きく異なる文化の下で、生きてきた世界の人々へ、こちらの考えを述べ、何とか合意を得ようとするならば、論理的に筋道立て、明快に表現するしかないことは明らかである。

日本語の柔軟性をうまく応用すれば、日本語で論理的に記述することは、それほど難しいことでは無い。つまり、翻訳しやすい平明な「やさしい日本語」を強く意識すれば済むことである。英語が嫌い、英語が苦手だと言って逃げていたのでは日本の将来は暗い。只々衰退していくだけである。

グローバル社会においては、関心情報のウオッチングと分析は欠かせない。しかし、その情報の多くが英語で記述されている。この事実は避けられない。