IPMA >> 世界へ「物・事・考え」を伝える日本語をについて考える
日本語文章という主題の全体を眺めてみますと、読んで理解が難しい曖昧な文章は、そこら中にあることに気づきます。情感として何らかの感動を与える文章の世界ではなく、伝えたい事実を正確に理解してもらう、あるいはこのようにしようという提案を明確に理解してもらう、あるいはこのように実行しようという計画を理解し受け入れてもらうための文章は、正確さが第一であり読んで支障なく頭に入っていく素直さが求められます。
世界の人々に「物・事・考え」を伝えるためには、好むと好まざるに関わらず、それらを明快に記述する言語を用意しなければなりません。我々日本人は文化を同じくするもの同士であれば、情報の意思の交換に何ら支障もない言語を手にしています。また、他言語のそれを日本語に転換する上での柔軟性も十分に持った言語を母語として享受しています。
しかし、一方において、世界の人々を意識したときに、誰にでも理解できる平明な表現で、ということを我々日本人は意識してきたでしょうか。残念ながら否です。「明快な表現」ということに対して日本人はあまりにも無頓着で努力はされていなかったと思います。