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経営資源である「情報」と、どう向き合うか
- 「情報は資源である」という、レポートが1970年代にアメリカで発表されている。申し訳ないが、このレポートの存在を紹介した書籍名と著者名を覚えていない。その内容は、 経営者とリーダーは情報を効率的かつ創造的に使うべき、即ち”情報マネジメントを新しい 面から見られるよう教育、訓練されるべき”、と記述されていたと思う。
- つまり、①情報は資源である ②情報は売り上げ利益を開拓するものである ③情報は競争上優位になること保証付きである。 ④情報は間違えた投資を防ぐことができる、と。 孫子の兵法で最も有名なのが“戦わずして勝つ”である。その 兵法を支える要件に“彼を知り己を知る”がある。つまり情報の重要性を説いている。この基本原則は社会がどんなに変化しても変わらない。
―情報は必要とする人のところへ集まるー
- ◆「徳政令」 新聞もテレビもない時代、人々は口伝えで情報を得ていた。 『徳政令』(岩波新書、笠松宏至著)という本に、鎌倉時代の永 仁5年(1297年)3月初めに立法された徳政令が、どれだけ の速さで諸国に伝わったかが出ている。御家人が一般の人に売った土地は無償で取り戻せる、というのが徳政令の中身だったからである。土地を買ったほうとすれば、大変な法律である。
- ◆『幕末維新の民衆世界』(岩波新書、佐藤誠朗著)という本には、 異人の登場で主に商人たちがどんな動きをしたかが書かれている。 英語を学び始める者がいたり、絹の輸出に望みをかける者がいた り、牛肉を売りに横浜へ行く者がいたり、旺盛な活動をしている。 江戸と大阪で、ほとんど毎日、お互いの状況を知らせる早飛脚が 飛んでいる。それには京都の政治的な動きも記されているし、横浜のビジネスのことも的確に触れられている。
―「報」に「情」が絡んで真の「情報」となるー
- いま身近な情報源としてインターネット、テレビ、ラジオ、新 聞、雑誌などがある。確かに、何処にいても均質で新しい情報が、入手できるようになってはいる。しかしそのような「デジタル情報」 は知識の取得が目的である、ビジネスの場面で、役立つ情報は、「対話(*)」から得られたものがほとんどである。
- (*)対話と いっても、具体的に相手がある場合もあれば、ある情報が自分の 頭に引っ掛かって、いつもそれを反芻しているうちに閃きを生んだというケースもある。これは自分との対話で生まれた「アナログ情報」である
1.情報は元々が、「無味・無色・無臭」である。
- 誰かが積極的に関わることで、情報は熱を帯びて色が付き、味が付き、匂いを立て、やがて血が通うのである。 雑情報を持つ人の話は楽しく盛り上がる、 同じ体験をしながら、ある人の話には含蓄があって、ある人の話は通り一遍で終わってしまうということがある。それは視点の違いや発想の違いからくるものである。 知的興味が旺盛で、何でも面白がる人には、自然に人が寄って くる。そこで対話が始まって情報が盛り上がる。
2.情報は人脈である。
- 積極的人間になるには、情報を集めるだけでなく自分の考えを整理して分かりやすい情報を発信することである。何も変哲もなさそうな情報でも工夫すれば、ビジネスで使える生きた情報となる。情報発信という行為は、まさに創造的であると思う。
3.情報との付き合い方を間違えない。
- 情報の質や量だけがもっぱら話題になるが、ビジネスで はその情報から何を決断するかが重要となる。課題を見つけるのも、課題を解決するのも、時代を先取りするのも情報が解決してくれる。情報感度を敏感にするには情報の収集力、分析・解析力、発信力を鍛えねばならない。つまり情報から「物・事」の本質を見抜く目を養い「五感」を鍛え「遊び心」を持つことだ。
【関連資料】:https://www.ipma-japan.org/chizai-joho.html
生きていくに必要な未来情報は、現場からしか生まれてこない。物事は、現場の視点から発想することが大事である。ある人曰く“口は一つしか無いが目と耳は二つある”。つまり“余計なことは言わずに倍、聞いて、倍、見なさい”と言うことらしい。
- ★①情報はマイナス情報に対して敏感になる。 ②情報は生活情報やビジネス情報のレベルで掴む。 ③情報は入手するだけでなく自分の言葉で発信する。 ④情報は独自の視点で自分なりに加工する。 ⑤生きた情報は人と人の対話から生まれる。 ⑥生きた情報は現場にある。気になる情報は、メモをとっておく。
―情報力が「インテリジエンス能力」を高めるー
- インテリジェンス力は情報収集能力と情報分析力、そして状況と分析結果の表現力(報告力)ということになる。いずれにせよ、基本的に必要な能力は、時間と空間(場所)の全体図を眺めることができる力といえる。
- 日本では、政府から企業まで、「戦略」という言葉が大好きで、そこら中に溢れているが、本当に「戦略」という名に値するものが少ないのは、全体把握の必要性が理解されていないことによるのだろう。この30年、国家の経営を担う人々から企業の経営を担う人々まで、そして民衆まで、日本を挙げての知性の劣化は、インテリジェンス力の劣化の裏返しでもある。
- 状況の把握を怠れば、考えなければならない課題も出てこない。課題がでてこなければ、対策を考える必要も無い。対策が考え出されなければ行動も、そこには無い。国を挙げて、焦点の定まらぬうつろな目をして、口を半開きにしてボーとしている顔つきになってしまう。
- 先人たちは、自ら情報を「収集・分析・解析」し、それを元に新たな情報を創造して自分の仕事に生かしてきた。情報が膨大になっている現代でも、そのことは変わらない筈だ。 幸いにして、自分に関心ある情報を個人で入手する強力な手段が発達し、誰でもが、 どこからでも全世界の関心情報が入手できる環境にある。
―ヴェネチアは、インテリジェンスの手本ー
- この素晴らしい本(海の都物語:塩野七生)のおかげで、ヴェネチアという小さい国の大きな存在、大航海時代がはじまる前までの地中海の女王の姿が「全部」わかる。この小さな 国の豊かな国力は地中海を舞台にしての貿易、地中海の先は遠くインドや中国との交易 品の扱いによる。その地中海ナンバーワンの貿易を可能にしたのは、巧みな外交政策であり、 その外交を可能にしたのは、各地の状況をリアルタイムで把握するインテリジェンスであった。
- この本によると、ヴェネチアから各国に派遣されていた大使からの「レポート」の客観性(感情を交えず冷静に観察する)と正確度は当時の世界水準をはるかに超えるものであったらしい。ヴェネチアはどのようにして当時、世界最高水準のインテリジェンスを持つことができたのだ ろうか。一番の要因は、宗教的感情で目が曇ることがなかったことにあるだろう。キリスト教国ではあったがイスラムの国々と貿易するのに躊躇することはなかったし、それ以上に、宗教の違いで人を色眼鏡でみることがなかったようだ。
- この宗教差別なし、人種差別なしの姿勢は、もちろん商業第一の功利から出ているのは間違いないにしても、根底にはもっと別の、それを当たり前とする文化あるいは普遍的な感情があったのではないだろうか。それは、一言でいえば、ギリシャ・ローマ文明から続く地中海文明によるものではないか。すなわち、宗教と人種と文化の多様性を当然の事実として受け止める普遍的感情が地中海世界では受け継がれて来ていたからではなかろうか。
- 世界には様々な背景を持った人間がたくさん居る。ということを前提(当たり前)として、世界を見る眼と、多様性を理解できない、すなわち多様性に出会う機会が少ない地域に育った人の眼とでは、物事の正確な把握と報告において、格段の差が生まれるのではないか。 更にインテリジェンスには「勤勉」という要素が欠かせない。貿易で生きてきたヴェネチア人が勤勉であったことはまちがいない。人口の少ない国だから、「全員出動」で誰もが自分の能力に見合う仕事をわっせわっせとこなしていた。
- ともあれ、ヴェネチアのインテリジェンスは、色眼鏡を掛けないで状況を観察し、感情をできるだけ混ぜないで枯れた筆致で報告する重要性をしめしてくれている。インテリジェンスの最初の作業は情報の収集、そして、その次に来るのが、その情報がホンマものかどうかを判定する作業となる。(IPMA名誉会員 篠原泰正の原稿を引用)