IPMA >> 知財経営を学ぶ >> 改革を阻む「知財幻想」
特許を取得すれば、自社の事業が守れるというのは幻想である
物事の本質(問題)を考えないと目が曇るということである。人間は、たとえおかしなことでも自分の利害に関係なければ、当たり前で見過ごす習癖がある。つまり御都合主義なのである。
知的財産とは、現物の商品(製品・サービス)と一体となって初めてその価値が発現できるもので、商品や事業と乖離した知財は費用(コスト)だけで価値を生まない。
2010 年5 月16 日(日)、朝日新聞(朝刊)の社説に「知的財産戦略」に関する記事が記載されていた。
「ありきたりの技術」や「こじつけられた捏造特許」を保護強化することで、特許訴訟の増大や、新規参入の機会が妨げられという弊害を起こしている。そこで、特許による「独占・排他権」は産業の発展を妨げる、という議論が起きてもおかしくはない。米国は、再び「アンチパテント政策」へ振り子を戻す可能性は充分にある。
特許をとれば、その事業が守れるなどというのは幻想である。実際は特許庁も警察も守ってはくれない。特許権者が自らの費用で侵害を調査し、裁判費用を支払い自ら守るものである。この権利行使のために必要な費用を予算化して備えているだろうか。
出願リスクとは出願から1.6ヶ月でその内容が日本特許庁電子館(IPDL)から全世界へ公開されることである。特許制度は各国の制度であるから自国に出願がされていない国の人たちが、公開された特許を勝手に利用しても文句は言えないのである。
何もかも特許を出願して開示する必要はない。例えばノウハウ技術、プロセス技術等は「ブラックボックス技術」として特許を出願せずに社内で秘匿しながら活用していくのも企業にとって重要な「知的財産戦略」である。
特許明細書は、ビジネスへの呼びかけ手段(事業計画書)でもある。特許明細書は読む人の好奇心と冒険心を刺激し、挑戦するに値する「夢が描けて、楽しい書き物」になっていなければ読んでくれる人は増えない。
企業の知的財産部門は、研究開発成果をお金に換えるプロフィット・センターであるという考えがあれば、会社の利益に貢献ができるはずだ。一方「中小・ベンチャー企業」は特許事務所、あるいは弁理士がプロフィット・センター役を担うことになる、その責任は極めて重いものがある。
特許文書は法的な要因が強いということであれば明確に書くことへの恐れが出る。つまり「シロ、クロ」が明確になることで、責任が問われるケースが出てきたら「ヤバイ」という心理が働く。つまり責任所在を明確にしないための知恵として「どちらとでも取れるように解釈範囲を広くして書く!」という先例が伝統として引き継がれてきたとしか思えない。
現場の研究開発者たちが「スイスイ」と読める特許文書へ改善するメリットは大きい。対して「こじつけ」や「捏造もどき」の文章作成技術で取得した特許の悪影響は多方面に及んでいる。中でも特許審査を誤らせることにもなると大変な面倒を起こすことになる。
体裁は同じ、特許法もほぼ同じとしても、日本人と西欧人の考え方の違い、そこから出てくる論理展開のやり方の違い、記述構造の違いを理解していないと思われる。